首都圏広域防災拠点となる初の国営防災公園「東京臨海広域防災公園」は、都心からの近さ、陸海空の交通アクセスの確保、共同溝・耐震岸壁の立地上の利点から、応急復旧活動の拠点となります。首相官邸や自治体と連携するテレビ回線の確保、連続72時間給電可能な自家発電機、飲料水の貯水等インフラ面も整備されています。災害時には様々な機能を受け持ちます。
※東京臨海広域防災公園は、大規模災害が起きたときには緊急災害現地対策本部が設置されるため、避難場所としてはご利用になれません。
Safety - 防災
国が計画した首都圏の広域「防災拠点」
オペレーションルーム
災害発生時には国と八都県市の合同現地対策本部が設置され、本部棟は全体の指揮運営の拠点となります。
ヘリポート
大型ヘリコプターの発着に対応できる面積約2.6haのヘリポートが設置されているため、物資や被災者の運送に対応する拠点になります。
ベースキャンプ用地
災害時には自衛隊や消防など広域支援部隊のベースキャンプになり、この拠点から被災地へ支援が行われます。
医療支援用地
災害時の救助活動と医療活動の拠点として、医療支援用地として使用されるスペースが用意されています。
水の科学館(有明給水所)〈災害時〉
東京都水の科学館には、震災対策の為に約6,600m³もの水が備蓄されています。
がん研有明病院 〈災害時〉
災害拠点病院として認定されているがん研有明病院と連携して、防災拠点としての機能を充実させます。
避難場所になる、シンボルプロムナード公園
青海、台場、有明の各地区をウエスト、センター、イーストの3つのプロムナードで結ぶ、臨海副都心最大の遊歩道型公園です。広大なオープンスペースは災害時の被災者の一時集合場所や仮設住宅の建設地としても活用されます。
※大観覧車を含むパレットタウンは営業を終了しています。
危険度が低いエリア
東京都「地震に関する地域危険度測定(第8回)」によると有明エリアは建物倒壊・火災危険度は最も危険性が低いランク1と評価されています。災害に強い街づくりをコンセプトにした臨海副都心では、ゆとりある空地率・歩道等が計画的に設けられています。
地区内残留地区に指定
有明エリアは、地区内残留地区に指定されており、23区内でもわずか約17.9%と限られた地区です。
【地区内残留地区とは】
木造の建物が少ない不燃化が進んでいるエリアで、万が一火災が発生しても大規模な延焼火災の恐れが無いエリアとなっています。基本的には広域避難場所への避難は不要です。
※防災関係機関から避難勧告が出された場合には、その指示に従って下さい。
※残留地区の総面積の合計は 11,162 ha に対し、23区の面積は 62,198 ha。(約17.9%)
※出典:震災時火災における避難場所及び避難道路等の指定(第8回見直し)(東京都都市整備局)(2018年6月)
最も危険度数が低い「1」を獲得
有明エリアとその周辺は、全項目危険度の低いとされる「1」と評価されています。
防潮護岸工事を施工されている有明北地区
有明北地区は、防潮護岸工事を施工し、高潮対策が施されています。東京湾の平均満潮位T.P.+0.97mに対し、東京都が想定した最大津波高さはT.P.+2.61m(2017年12月現在)。なお、東日本大震災による気象庁測定の津波高は晴海でT.P.+1.59mでした。
『ブリリアタワー有明ミッドクロス』が位置する有明北地区は『東京港防災計画図(2011年)』によるとT.P.+5.37mの防潮堤が整備(一部整備中)され、約2.76mの余裕があると想定されています。
※掲載の概念図は実際の高低差の比率とは異なります。
※出典:東京都港湾局ホームページ
日本経済の発展とともに進められた東京湾埋め立ての歩み
■1964年(昭和39年)
戦後の経済復興が一段と進み、本格的な埋立造成工事が始まり、台場、青海、夢の島の埋め立てが進められました。
■1974年(昭和49年)
日本経済の躍進とともに物流革新に対応すべく港湾整備が急ピッチで進められ台場・青海・夢の島の埋め立ては71年に完了。
■1985年(昭和60年)
輸送改革に対応したコンテナふ頭などの整備が進められる中、レインボーブリッジの計画が開始されました。
■2005年(平成17年)
レインボーブリッジが完成し、新交通ゆりかもめ、東京臨海高速鉄道が開業するなど、交通網は年々充実し、都市機能が整備されています。
※参考資料:江東区「江東区のあゆみ」 江東区「江東の昭和史」
※上記の内容は分譲当時のHP・パンフレットに記載されている内容を基に掲載しております。
※掲載の物件画像は竣工時に撮影された画像となります。また、環境写真は2018年11月に撮影した写真です(image photoを除く)。
※イラストはすべて概念図であり、実際とは異なる場合があります。